リレー随筆

卒業生の皆さんからのリレー随筆のコーナーです。
当時の志布志高校での思い出、現在の状況、雑感等をリレー形式で紹介していきます。



リレー随筆第4回 昭和44年卒(第21回)

奈良迫 英光
テーマ:環境は豊かな人間を育む

旧制中学の校歌に歌われている「汀に続く庭のうち、松も操の友として」の一節が大好きで、出身はどこですかと聞かれたら志布志高校卒と、いの一番に応えます。通学は田舎の砂利道を8キロ自転車で通いました。

当時は国鉄の大隅線、志布志線、日南線が運行され、串良、大崎、末吉、串間などから多彩な生徒が集り、多くの出会いが自分を目覚めさせてくれました。

昼過ぎになると心地よい浜風が松林を抜けて教室に届き、つい居眠りし何度か先生のお叱りを受けました。

在校中に60周年の式典があり、早稲田大学の暉峻康隆先生の井原西鶴の話は今でも心に残っています大学卒業後は「旅」を仕事に、47都道府県や多くの国々を巡りました。

改めて日本の美しい文化を再認識する日々です。

福岡在任中に福岡松蔭会の設立を依頼されK会長とともに奔走したことが忘れられません。

58歳の時鹿児島県庁に出向し、その後は大学の非常勤講師やアドバイザーとして、講演や人材育成、地域活性化に取り組んでいます。

高校時代の仲間と集まり、50数年前の3年間を語るとき、純粋に一生懸命に生き多くの薫陶を受けた教育環境に感謝する想いです。母校のさらなる発展を祈念します。

 



リレー随想第3回 昭和41年卒(第18回)

谷口 重美

私は,昭和38年3月松山中学校を卒業し,よく4月,志布志高校に入学し三年後卒業させていただきました。
現在は,志布志市教育委員会学校教育課の会計年度任用職員として勤務しています。今日の私があるのは,何といっても,多情多感の青春時代前期の3年間を歴史と伝統あるこの志布志高校で勉強させていただいたおかげと感謝しています。
私が,入学した頃は,日本が高度成長期に入る頃で,多くの同級生が集団就職したり就職進学したりしました。私は,中学3年の時の担任が本校の大先輩の一木法明先生で「谷口,おまえは普通高校である志布志高校に行ってみらんか」と進路指導していただき,父母も了解・納得しどうにか入学させていただいた次第です。勉強は元々あまり好きな方ではありませんでしたが,先生方の指導や同級生や先輩に刺激されて1年生の終わり頃から勉強に集中しだした記憶があります。
通学については,当時は,国鉄志布志線が健在で,SLディー ゼルカーでの通学でした。朝の通学列車はいつも満員でほとんど立って約25分間大隅松山駅~志布志駅間を通学しました。雨の日や風の日もあり大変な時もありましたが,多くの先輩や同級生、後輩たちと和気藹々の楽しい通学でもありました。泰野から大隅松山駅まで約5キロ,自転車通学で,帰りはみんなで自転車競争をして帰ったのもよき思い出です。あの頃は自動車や単車などの交通車両が少なかったから事故を起こさなくてよかったと反省もしています。

約10年前,松山地区から松蔭会の副会長になるように推薦を受けて昨年まで及ばずながら務めさせていただきました。引き受ける時,高校時代お世話になった母校に少しでも恩返しができたらという思いがありました。

一昨年(令和元年,2019年11月9日)本校は創立110周年記念式典が盛大に挙行されました。私は,名前ばかりの実行委員であまり協力はできませんでしたが一木弘文同窓会長や宮ケ原修平会長代理を中心に,本校の校長,教頭先生をはじめ多くの職員,松蔭会員,PTAの方々が実行委員になり全員一体となり記念事業を実施して大成功裏に終わりました。

現在は,新型コロナの影響でほとんどの行事や大会が中止や延期されていることを思うと,110周年記念事業はいい時期に実施されて本当によかったと思っています。今後志布志高校の前途にもいろんな困難が押し寄せてくるかも知れませんが,創立以来この学舎で学ぶ生徒たちや親身になって指導いただいている先生方,その教育活動を支えて下さっている教育委員会やPTA,同窓会の皆さんで困難をきっと克服して益々発展していくことと信じています。

 



リレー随筆第2回 昭和41年卒(第18回)

古垣成子

松蔭会の皆様、如何お過ごしでしょうか。
平成23年より松蔭会本部で副会長の一人としてお手伝いさせていただいております古垣成子と申します。よろしくお願い致します。
昭和38年4月から41年3月まで母校で楽しい青春の1ページを過ごした思い出を語りたいと思います。
まず、1年生の副担任は原田實先生でした。お洒落でダジャレの好きな先生でした。今日はどんなネクタイ?毎日ネクタイが違うのです。
女生徒は特に興味津々でした。又、数学の授業ではどんなダジャレがでてくるのかとても楽しい授業でした。
そして先生のダジャレを聞きたくて昼休みに友人と職員室へ遊びに行った事。
2年生は学業より部活動とダンスに興味を持ちました。夏休みの朝早い課外授業には参加せずテニスの練習だけ参加し、担任の先生に叱られた事。友人と昼休みに校舎の屋上でその頃流行していたツイストを練習した事。
修学旅行は関西関東への6泊7日。3泊はなんと夜行列車内で床に新聞紙を敷いて夜を明かした事。何故か女生徒のみの修学旅行でした。
3年生はいよいよ進路を決める大事な学年。
私にとって人生を大きく変えた学年でもありました。それは3年生の副担任が1年時と同じ原田實先生でした。
進路を決める時の面接での先生の一言「これからの女性は何か手に職を持ち自立する事が人生を豊かにし大事である」と。
急遽進路を変え看護師への道を歩むことになりました。先生との素敵な出会いがなければ今の私は存在しないと思っています。
旧制志布志中からの建学の精神一貫して受け継がれている輝かしい伝統と歴史のある高校で学べた事をとても誇りに思っています。志布志高校、最高‼ 大好きです。
志布志高校同窓会松蔭会本部・各支部総会に参加し母校の為に絆を深めていきましょう。

追伸
原田實先生が3月9日ご逝去されました。
心よりお悔やみ申し上げます。
原田實先生 ありがとうございました。

 



リレー随筆第1回 昭和42年卒(第19回)

宮ヶ原修平

全国の松蔭会会員の皆様、如何おすごしでしょうか?
令和二年はコロナに明け、コロナに暮れようとしています。

私は本年八月まで縁あって松蔭会本部で副会長の一人として微力ながらお手伝いをさせて頂いておりました宮ヶ原と申します。宜しくお願い致します。

この度、松蔭会に念願のホームページが開設されました、誠におめでとうございます。
ホームページ開設については、数年前より取り沙汰されていましたが、何分にもその方面に詳しい人材が不在でした。
又、コロナ禍でほとんどの行事や会合も中止・縮小が続く中、恒例の松蔭会総会(八月第一土曜日)も中止せざるを得ず、やむなく役員会を総会代替として開催し、役員改選で新会長に樺山弘昭さんを選出して頂きました。
このことにより、役員の若返りが図られました。

新会長は就任早々積極的に取り組んで下さり、十一月にはホームページの準備が整いました。
このことによって、これからは全国どこからでも松蔭会にアクセスが出来ることで情報共有が進み松蔭会の活動が活発になることが大いに期待されます。
又、IT環境の無い方や苦手な方には紙媒体の「便り」(有料制)を残す取り組みをされるとのことです。
今後は松蔭会ホームページと志布志高校ホームページをリンクさせることで双方の情報をより検索しやすくなる事と思います。
皆様にはこのホームページをご活用いただき、母校及び松蔭会へのさらなるご支援・ご指導を宜しくお願い致します。

末尾になりましたが、昨年の母校百十周年記念事業には多くの皆様方のご支援ご協力を頂き、お陰をもちまして無事終了出来ました。
関係して頂きました全ての皆様に実行委員の一員として、改めまして心より御礼申し上げます。有り難うございました。