松陰会名誉会長あいさつ


名誉会長 原田實
(昭和17年 旧志布志中学校第29回卒業)

開校の昔を偲ばせる旧中学校の正門「追思の碑」は、開校時に現在の地に建てられたもので、大事にしたい財産である。また、この門は、これまでの母校の移り変わりを見守ってきました。

本校と現在の香月小学校以南海岸までが旧中学校の敷地で、当時日本一の広さの学校であった香月小学校と本校の境界付近に門があり、通用門と呼ばれ利用されていた。

国道工事の際にもこの門が残った。

1925年頃、「都城-志布志」間に、国鉄(現在のJR)が開通し、高校内を列車が走ることになった。当然踏切が必要となり、現在の南門がその位置であった。

香 月小学校から稚児松までの間については、国道から南に行く道がないために、十年くらい前までは、本校の正門から通用門を通り自宅へ帰る人が多かったのが思い出される。

現在、96歳になり、昔の風景を思い出しながらも、本校の発展を願うばかりである。

※原田名誉会長は、令和3年3月にご逝去されました。

 


 

名誉会長 一木弘文
(昭和31年  第8回 卒)

全国の同窓生のみなさま如何お過ごしでしょうか。

秋の訪れもコロナ禍のせいで、今ひとつすっきりしないこの頃です。

この度、新役員体制の中で、ホームページを立ち上げるとのこと、おめでとうございます。前会長ということで、原稿の依頼がありましたので、筆をとった次第であります。

松蔭会との関わりは、校長として、母校に勤務させてもらった平成7年4月に始まります。その後、名誉会長の原田實先生の後を引き継いで、微力ながら会長を勤めさせていただきました。その間、全国の同窓生の皆様には、ご協力を頂きありがとうございました。厚くお礼申し上げます。

さて、私自身の高校時代を思い出してみます。

まず、校舎は旧制中学校の1階平屋建てでしたが、当時では珍しく雨天体操場(今の体育館)がありました。

校庭は、「汀に続く庭のうち」と旧制中学校の校歌にありますように日本一広く、校庭の中を志布志線と古江線が通っていました。昼食時間になれば、松の木陰を求め、線路脇に三々五々集まって食事をとったもんです。

部活も盛んで、私は柔道部に所属、レギュラーではありませんでしたが卒業まで続けました。お陰で鹿児島(当時は大都会?)の県大会に連れて行ってもらいました。

また、3校模試(高山高校・鹿屋高校・志布志高校)が行われ、勉学にも力を入れて指導してもらいました。同級生は、有名大学に多数進学しました。

同窓生のみなさん、先人の努力によって大隅半島最初に創設された志布志高校が、今後とも地域の財産として益々発展するように応援してまいりましょう。